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『 レールデュタンの香り 』 [日記]

父はよく出張で留守にした


夕方になると母に『 今日お父さん帰ってくるん? 』と


私か妹のどっちかが質問してた


帰る日には決まって母は『 そりゃ自分の家だもん 』と答える


帰らない日は『 さぁ~ねぇ~ 』


少し大きくなると


質問しなくても雰囲気でわかるようになってきたけど


何日かいなかった後の


帰りにはいつもお土産をたくさん持ち帰った


日本国中あっちこっち出張で行ったとよく言ってたけど


その頃はただ何となく話を聞いて


おみやげに飛びついて食べていたけど


大人になって自分で旅行に行き


SAなんかでうろついてると懐かしい再会をする


あぁ・・・これはここの名産だったのかぁ


こっちはここの銘菓ってことかぁ 美味しかったよなぁ


ほとんど買わないんだけど


どうしても食べたくなって


相方に小さいのを買いたいと申し出る。。。


父の優しさがよみがえる~


海外出張にもよく出ていたけど


特に台湾は仕事で行って気に入ってから


機会があるごとに友人・知人・親戚の人たち


そして私たち家族を連れて、あちこち案内してくれた


結局何回?何十回?いや・・何百回って感じかな


私も2回連れてってもらったな


家族全員(相方に妹のだんなさん)参加できたのは


両親の還暦祝いで すごくいい思い出やぁ~


・・・と


食べ物やお菓子のお土産に加えて


海外出張の時には


免税店で女子ぃ~の喜ぶもんを買ってきてくれた


母に姉に私に妹 それからそれからどっかの女?


とにかく口紅一本でもたっくさん買わなきゃって感じかな


私にはアクセサリーのセットみたいなのもあったっけ


母には特別 香水!私はまだ10代で香水なんて関係なくて


銘柄なんて関知せず、香水とひとくくりにしてたけど


母はほぼ毎日つけていたので


香りはしっかり覚えていて・・・イコール母の香りとなった


家を出てから姉と暮らしだすと家族が恋しくなったせいか


街ですれ違ったご婦人(そういう香り)から その香りがして


マミーを思い出したわなんてことがよくあった


そんなことを話してると 妹が


『 レールデゥタン 』ってことやねと言って


初めて香りの名前を認識したんだけど


ずっと ずっと 母の香りだったはず


ずっと ずっと つけていたはず なのになぁ


最近その香りがしないなぁ


当たり前?80代の母が


毎日家にいる母が


レールデゥタンつける方がおかしい?


どうかなぁ?


どっちにしても


そのことに全く気が付いてなかった自分がうらめしいな


父が亡くなってから?


いや、もしかしたら もっともっと前かな?


父のお土産でもらわない限り 自分でそういうもの(贅沢品?)買う人じゃなかったから


父が出張に行かなくなって・・・最後のレールデゥタンを使い切ってからってことかな


プレゼントしたら良かったな


そういうことにも気づけないんやな 私って


今頃や


昨日、今まで匂ったことないような感じが母からして


あれ?と思った


お風呂には毎日入ってるよっていうし


面倒くさくなって頭髪を洗ってないのかな?


そういえば洗濯機をまわした時


母のものが一つもなかった


兄が一気に出したのは上着とかだけど


下の方に下着は二組あった


母のは・・・・どうしたんだろう?


干したままになってるものもなかったし


ってことは兄のと比べて言うと下着2日替えてないってことなのかなぁ


全てが面倒になってきてる・・・のか


心配の種がふくらんでゆく


ってな話をしてる自分を振り返ってみる


そういう私も香水・・・コロンさえ最近つけてないなぁ


結婚してからや(あいつのせいやー)


独身時代はランコムのトレゾアを好んでつけてたなぁ


問題は母よりも私の方かもね













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『 ノーパンのトミコさん 』 [日記]

定期健診の数値がまたまた悪かったということで


付き添いの妹はもちろん


同居してる兄から


姉から電話で


ヤイヤイ言われたせいか


続けて電話した私の様子伺いに


何となくそっけなかった母


そのことも気になり


相方の予定がなさそうだったので


バイクを飛ばした


すごくいいお天気だったし


ひょっとして~ ひょっとしたら~


買い物くらいに出かけて留守かも・・・?とか


淡い期待に予想なんかしてたけど


ピンポンおすと


いた!しかも今日もパジャマ~ あかーん


テーブルには・・・お昼用なのか 朝食だったのか


わからないけどドーナツとコーヒーカップがあった


お昼済んだ?と聞いても


いつも通り『 お昼も何も・・・お腹すかんもんなぁ 』とお決まりのセリフ


じゃーコレでもつまんでおしゃべりしよぉ~とアレコレ並べ


今回持ってったお水のペットボトルを目の前にすすーーーーーーーーーーーと出したら


『 水分かぁ 』とつぶやいてた


父に手を合わせにリビングを出た私にくっついて出た母が言う


『 えーこんなに洗濯物がたまってるぅ、まわさなきゃアカンなぁ 』


兄がドサッと一気に出したのをブツブツ言うて・・・面倒くさそうだったので


私がまわすわと・・・・しかし干してきたのはいいけど


高い竿にかけてきたことを帰宅してから心配に(まだまだ気配り足らんなぁ私)


そんなこんなを思い起こしてたら


兄が出勤した早朝に出したであろうものに驚いてたってことは


私の参上した時間・昼過ぎまで母はトイレにも行かず?とか思うと


余計心配になってきた


テレビの下には妹が書いた大きな貼り紙


”水分をたくさんとって、尿をいっぱい出しましょう!”


貼り紙全然気にしてなかったわとか憎まれ口の母 


仕方ないかとやんわり透析なんかの話をしてみた


嫌がってる病院にもーっと行かないといけなくなるって話すと


早速ペットボトルのキャップを開けて一口・・・単純すぎぃ~


・・・で昔話スタート 透析と言えば・・・浜辺で遊んでいると


しょっちゅう見かけるおじさんがいて・・・


聞いたら透析に通ってると・・・時間かかるって会話をした覚えがあるのと


祖母の親戚のおじさんは腎臓が悪くて・・・血筋かもって話のセットを


水を一口飲む度に繰り返しした


しかし しかし 本日の第一位!めっちゃヘビロテ話は


ノーパンのトミコさんのお話


何がきっかけで始まったのか忘れたけど


とにかく途中から笑えてくるくらい!終わってすぐぅ?って感じに繰り返した


母が働きだして入った寮には何人かの女性がいて


その中に”トミコ”さんと言う年上の人がいた


ある日(なぜか)お寺の境内で女子社員数人でおしゃべりしている時


石段に腰かけた母の少し上に腰をおろしたトミコさんの


スカートがふわりとめくれ


見る気はなかった母の目にスカートの中身が飛び込んだ


母はギョッとして言った


『 トミコさん!あんた下着何にもはかないの? 』


するとトミコさんが答えた


『 だって生理だもん! 』えーーーーーーーーーーーーーえーーーーーーーーえーーーーー


母はもっと驚いて聞いた


『 えー?どういうこと? 』


トミコさんが言うには脱脂綿を丸めて突っ込んでる(お手製タンポン?)から大丈夫


流れてきたらトイレに行く


そんなのがちょっとでもついて白い下着が汚れるのが嫌だから履かない ということらしい


仕事してると、来客なんかでどうしてもすぐにトイレに行けないこともあるじゃない


そんな時どうするの?社内には男性が大勢いる 今の私みたいに そんなの見えたら


みんな嫌がるでしょう(そうかなぁ?ニヒニヒ)


私は脱脂綿の安い大きなパックを買ってきて、ちょうどいいくらいに二つ折りにして


間にもっと安いちり紙を入れて(お手製ナプキン?)もうすぐ始まるなぁーって前にいくつも準備しておくの


・・で白い下着じゃなく ブルマのような黒か紺の下着を用意してるわよと説明してあげたのって話


このお話 昔私が初潮を迎えた頃くらいに聞いたと思う


その時はただ丸めて突っ込んでる人がいたってこととそれを見たのは


幼い母でびっくりしたって話だったけど


今回その人の名前がトミコさんってことと


母も大人で、逆に年上のトミコさんに注意のようなことをしたって話になってて驚いた


きっとこっちがオリジナルかな?


幼い母ってのは私に合わせてくれた話なのかなとか思い出しながら


何度も何度も聞いていた


もうそろそろおいとまするわってストップをかけた私


もしお泊りだったら・・・ずっとずーっと繰り返されたのかな?とか


怖いもの見たさって気持ちもありつつ・・・


笑い話のようだけど


母の脳の老化や萎縮が進んでるってことなのか?と


バイクを飛ばしながら 考えこんじゃった


そういえば・・・私がトイレに立った時 戻る前に少し廊下から母の様子を見ていたら


どこを見るでもなくぼんやりとしてて。。。無性に申し訳なさで胸が痛んだ


子供の頃私たちに・・・少しも!微塵たりとも!寂しい思いをさせなかったお母さん


なのに・・・私たちは・・・ごめんね 















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『 親不孝でもどかしい 』 [日記]

母の病院に付き添ってくれた妹からの報告


数値が良くないってこと


毎月そう言ってて・・・水分もっともっと


とりましょうって先生に言われては


一緒に聞いてる母に 再度気を付けてと言い


みんな会うたびに言うんだけど


母は『 ハイ ハイ・・・わかってるけどさぁー 』って感じ


一緒に住んでる兄は言うこと聞かなくて困ってるってご立腹!


お医者さんの忠告 聞かないと・・・どうなるか


あんまりわかってない様子


なんなら早くくたばりたいわ!くらいに思ってるみたいだけど


母の思う ポックリではなく


自由に動けなくなったり 今以上に病院に通うことになったり(透析とか)するんだよって


説明したいけど 怖がらせるだけなのか?


もっともっと寄り添えたら


ずっとそばに居て 口添えできるなら 違うんちゃうかなぁと悩む


会った時に とってつけたように 水分とりやぁーっていうても


母からしたら 『 ほっといてくれ 』なのかも・・・と思ったり


うじうじ悩む日々


もっともっと兄に頼みたいこといっぱいあるけど


一緒に住んでくれてるだけでも良しとすべきなのか?


女と違って男はそんなおしゃべりせんもんなぁ~っていう母


兄は何時ごろ帰ってくるん?


どうしてるん?尋ねても 『 あんまりしゃべらんから知らんわ 』って


どうしようもないんかなぁ?


外野(私)がとやかく言うことじゃないって思えて


自分が何もできないくせに・・・・言えないって思うけど


棚に上げても言うべき?とも 思ったりグチグチの日々


やはり家には女手が必要って思う時


姉に戻って欲しいと思っちゃう


父が闘病生活に入る時に そう言い出してくれるのでは?と


妹と甘い期待を抱いたのだけど・・・


姉の状況なら私だったらソッコー帰るのになぁ・・・


兄の状況なら私だったら毎日母とおしゃべり三昧で暮らすのに・・・妹もきっとそう・・・


そう思って悶々としてたけど・・・その状況じゃないから言える事なのか?とか


最近自分を疑ってしまったり


それに私や妹の思いと同じじゃなさそうな兄姉について不思議に思ってたけど


そういえば私も独身の時はそんなにも両親のことや祖父母のことを考えて暮らしてたかな?と振り返ると


結婚で離れたから 余計に恋しく思うようになったのかも・・・と感じる


だから兄姉にどうこう言っても仕方ないことなのか?とか


あぁだけど 何より悔やむのは 自分に余裕がないってこと


もしあれば仕事もせず実家に・・・って言い出せるんだけど


そうできない状況。。。


もう何もかも堂々巡りで


何一つ前に進めず


ただ一日一日時間が減っていくだけ


父は寂しくゆかせてしまったし後悔してももう遅く


母は祖母も長寿やし・・・まだまだって笑って言ったりしてるけど


朝丘雪路さんの訃報を聞いて 胸騒ぎが止まらない


死は遠くであっても


私をわかって楽しくおしゃべり盛り上がれる 今のうちに


もっともっと もっともっと そう思うのに ただただ思うことしかできないで


また後悔を増やしてしまうだけやって 痛いほどわかってるのに


動けずにいる バカ アホ まぬけ 親不孝者 地獄に落ちる きっと


私自身は母が長生きしてくれることを祈っても自分自身の長生きなんて願えない


だけどこのまま死ぬの?と思った時 とてつもなく恐ろしくなってきた


死ぬのがじゃなく・・・このままっていうのが いや、少なくとも昔は


素晴らしきかな人生!なんて思えてたから


何もかもがままならなくなった今のこの状況のまま・・・


何も 本当に 何一つ成せてない ふてくされたまま


死んで 天国行けるわけもなさそうや それに死ぬときに相方に


今まで有難うとも言えそうになく・・・もちろん言ってもらえそうもないし


もっと一生懸命生きたいって思いながら


もがいてるだけで・・・ あぁ 申し訳ない この文章に何も意味はなく


オチもなく とめどもなく 愚痴が続くだけ・・・私の人生そのものか









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『 太っちょ母さん 』 [日記]

私が子供の頃 母は太っていた


抱きつくとボヨヨーンとして気持ち良かったけど


友人なんかに対して恥ずかしいなと言う気持ちがあって


忘れ物をした自分が悪いくせに


母に持ってきてもらうのを躊躇したり


少し大きくなると授業参観も来なくていいよなんて感じで・・・


そうやって避けてたのに


母が学校の近くのスーパーでパートをしだして


しかもみんなが帰りに買い食いしたりするコロッケ部門担当になったもんだから


すっごく地獄だった


小学校の時のように太ってるねとズバッという幼さは卒業してたけど


何となく含んだ言い方をされたり・・・


男子の中にはからかう子もいたり

(一人だけだったから・・・きっとコイツは私のこと好きだったのでしょう・・・)


とにかく 痩せた普通のお母さんだったらなぁ~と何度思ったことでしょう


でもお母さんに痩せて!とは思わなかったので 不思議だけど


どうしようもないことって認知してた感じ


大きくなってきて・・・そんなことを恥ずかしいと思わなくなってきて


特に家を出て姉と暮らし始めて恋しくなったのもあるのかもだけど


電車なんかで見かける太ったお母さんと子供の姿がとっても微笑ましく感じ


もうこっちの方があったかくて優しそうですっごくいいなとさえ思いだした


だけど自分が太ってみて思うことには


ちょっと何かするにも 動くのが面倒だったり・・・イライラしたり


太っちょ母さんはスリムな母さんと比べて どうなのかな?


イライラしたり・・・・って自分の母親のこと思い返せば


そんなことなかったな・・・・関係ないか


自分のことばっかきれいに磨いてるママよりは


やっぱ太っちょ母さんがええ気がする・・・・のは私だけか


ってか辛かった子供の頃の気持ち忘れて 他人事になってるんかな


録画してた番組のダイエットのコーナーで


子供の言葉に一念発起して痩せたママがいたけど


最初辛そうにしてる子供に自分が重なったわ。。。あんな感じやったなー


でも今のマミーは痩せちゃって。。。太っちょ母さんに戻って欲しいくらい









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『 もっと会いたいのになぁ 』 [日記]

またも久々の訪問になっちゃった


ごめんね マミー


だけど今回は


ちょっとしたおみやげがあって


意気揚々とバイクを飛ばした


それは母の昔話にちょこちょこ出てくるお店のことを


調べて・・・やっと届いたお返事(手紙)


内容は期待していたものとは違ったのだけど


それでも母が思い出に浸るには充分なものだと思ったから・・・


着いて父に手を合わせて・・・すぐ読んで聞かせてあげたら


途中からもう泣いていた


それから繰り返しいつもの昔話をした後


外の雀を眺めながら 

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マックナゲットを次から次へと口に運んで(嬉しい驚き♪)


楽しそうにしていたのだけど


帰宅して電話すると 最近なかったくらいの涙声


グジュグジュと言う雰囲気


置いていった手紙を読んでは泣くを何度もしていたみたい


良かったのか悪かったのかと・・胸が痛んだけど。。。


あぁ もっともっと早く会いたい人には会いに行くべきやったと


母も後悔していたみたい


父をはじめ 母が会いたい人はみんなあっちへ行っちゃったと


私も疎遠になってしまってる友人たちに会いにいくべきでは?


うーーーー まだ勇気がでないのだけど そんなんいうてる場合じゃないかもだけど


そう言えば 今日は待っていてもコーヒーをいれてくれなかった・・・ガックリ


それにパジャマだったし mmmmmm もっともっと会いにいかなアカンってことよね 反省

IMG_20180509_131737.jpg




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